kindle paper whiteについて

昨年末、実家に帰ったら、父がkindle paperwhiteを持っていた。たいそう気に入っているようで頻りに勧める、というよりも買ってやるなどと言うので、大人しく買ってもらうことにした。その場でAmazonで注文して、翌日にはうちに届いた。
もともと「紙の本」にフェティシズムを感じる人間でもなかったし、初めは物珍しさもあって使っていたところ、だんだんとその便利さに憑りつかれ、今では生活の(小さな)一部となったといってもまあ良いと思う。
僕はもともと本を読むのが得意でない。読むのが遅いし、読んだことを覚えていない。読んでいるとすぐ眠くなる。そんなわけで、いまいち「本を読もう」という気分にならず、去年までは読書など下手したら年間5〜6冊ではなかったかと思うのだが、今年は今の時点でpaperwhiteで30冊程度読了している。人と比べて大した数字ではもちろんないが、この増加量は評価に値するだろう。
僕にとっては、物理的な意味で楽に読めること、何故か比較的眠くなりにくいこと等がだいぶ読書のハードルを下げたと思うし、読み終えたページが見えないので読んだという実感がないことが逆に、「覚えられないこと」による苦手意識を軽減したかもしれない。こうした理由により「読むこと」が身近になったのは、2016年の大きな出来事であるだろう。
これをどう人にお勧めするかと考えるに、自分の実感から言えば、以下のうちふたつくらい心当たるならば、是非ご検討されたい。

常時複数の本を携行したい

paperwhiteは薄い。で、小さいってほどでもないけど、大きくもない。カバーとかなかったら、一応ジャケットの内ポケットに入る。で、本めっちゃ入る。内ポケットに忍ばせとくだけで、ビジネスっぽい本と、一般教養的な本と、小説と、なんて気分転換しながら読める。むしろ1日単位の外出でそんなに読めない。旅行の時がとても便利。長い移動時間とか、ちょっとした隙間時間のお供。電池は週単位で持つし、充電はmicroUSBだからスマホので済む人も多い。本体の3G回線か、スマホとかでテザリングできれば、旅先でも荷物を増やさず本を増やせる。

本を開いて保持するのが面倒、特に分厚い本が重くて嫌

paperwhiteは軽い。で、小さいってほどでもないけど、大きくもない。成人男性なら、基本的には片手で持てる。で、手でページを開いておく、という必要がない。しかも、ページめくりも、指で画面に軽く触れるだけ。時々片手で本を持つ人がいて、アメリカンホームダイレクトの手というか、親指と小指でページを広げておいて、そのまま親指と小指をもぞもぞして器用にページをめくる人もいると思うけど、そういう特殊技能いらない。京極夏彦でも、片手で余裕。電車で吊革につかまってる時でも、寝っ転がってる時でも、体勢を選ばず楽に読める。

本は寝る前に読みたい、寝ているかみさんの隣でも心置きなく読みたい

paperwhiteは光る。電気スタンドとか使わなくていいから、隣で人が寝てても迷惑にならないし、真っ暗の中読んで、眠くなったら画面OFFにして速攻寝れる。しかも、バックライトじゃなくてフロントライトだから、よくわからないけど、とにかく目が疲れないらしい。要は紙にライト当ててるのと同じ。スマホよりは疲れない。

本は欲しいと思った時が読み時

kindle本になっていれば、という条件はあるけど、文字通り光の速さで本が手に入る。amazonの1時間以内配送ってのもすごいけど、その待ち時間さえない。テレビや新聞やネットを見ていて、あるいは街中や電車内の広告で、気になる本が見つかったら、kindle検索→1click購入→読める。深夜でも、外出先でも、次の瞬間には手の中にある。目の前に無いものを買う行為としては、今のところ最速。速すぎてやばいので、一応「間違ってポチったから返品」もできる。「サンプルダウンロード」といって、購入前に冒頭数ページを読める機能もあるけど、僕はあんまり使ってない。


一方で、このデバイスも万能ではない。がっかりしないためには、向かない用途、弱みも理解しておくことが必要だ。

学術利用

学習や研究に用いる文献を、具体的にどういう風に使うかというと、
・重要なこと、記憶すべきことが書かれたページに付箋を貼り、すぐに開けるようにする
・線やメモを書き込む
・複数のページを行ったり来たりする
・複数の書籍を見比べる
ということが少なくない。これらはいずれも、文献の物理的特性を最大限に活用して、頭の働きとモノとを連動させる使い方である。このうちの一部はpaperwhiteでやれないことはないんだけど、どうにもまどろっこしく、要するにクリエイティビティの湧き出しにキャッチアップするという点では、紙とペンという物理的なデバイスには敵わない。その点では、paperwhiteは狭い意味で読むことに特化した道具と割り切った方が良い。

漫画

何十巻にもなる漫画をこの薄っぺらいデバイスで読み耽ることの魅力には、抗いがたいものがある。電子インクの表示やページめくり機能も、申し分ない。ぶっちゃけ、漫画は読める。しかしそれでも、漫画というメディアに対する敬意を持つならば、たった1つの理由において、paperwhiteで漫画を読むべきではない。厳密にいえば、従来の枠組みの中で生産された、紙で出版された漫画を。
その理由とは、「見開き表示ができない」ことである。
漫画の作品性には、視覚効果も含まれる。言うまでもないことだが、「何を」だけでなく(漫画という形式において)「どう」描くかも、作家の力量であり個性なのだ。例えばコマ割りである。コマという形式に対する工夫により、軽重、緩急、空気感など、様々な要素を表現することができる。ある漫画作品を、全てのコマの大きさを揃えて1コマずつ紙に刷ったとしたら、その紙の束は、物語としての豊かさにおいて、元の漫画作品から大きく劣化したものになるに違いない。
その最たるものが「見開き」だ。「見開き」とは、漫画雑誌にせよ単行本にせよ書籍になることを前提として描かれた漫画に特有の、ひとつの技法である。作者が強い意図をもって、特定の視覚効果を狙って、わざわざその技法を採用する。面積の大きさから単純に考えれば、しばしばそれは、ストーリーの中で最大級の「見せ場」なのだ。
これをページ単位で分断して表示してしまうことは、「何か見づらい」を超えた非常に重大な問題だ。端的に言って、形式に託された作者の表現が失効することに他ならない。本質的には、絵が描かれたコマを黒く塗りつぶすのと大差ない暴挙である、とは過言であろうか。
そんなわけで、このようなことを引き起こすデバイスでは、「漫画を読む」という行為の総体をカバーしつくすことはできないと思うのである。
見開きがなければ私も文句はない。紙媒体の漫画でも4コマ漫画集などはこうした問題を引き起こさないだろう。また、そもそもから電子書籍に最適化されて生産された漫画も今後は増えていくと考えられる。web漫画という、物理的紙面の不在や縦スクロールといった特性に適応した形式も今や確立し、その中での表現がやはり模索されている。言いたいのは要するに、『キングダム』は紙の本で読みてえなあ、という程度である。