カントリーロード

最近急速にFBが流行ってきたため、地元の人たちがアカウントをとって何人かニュースフィード上に流れ込んできた。今朝もまたリクエスト一件。TVCMでも流れてんのか?拒否したら角が立つのでお受けするが、フィードから透けて見える彼らの思考や行動が尽く、僕にとっては面白いものでも何でもない。こういうのから逃げる目的もあってmixiを捨てたのにな。ナンパまがいの見苦しいのもいるし。まあこれはどこにでもいるか。幸いFBでは友人のアップデートを個別に非表示設定できるので、まあ大した問題ではない。

地元の交友関係にあまり興味をもてないんだな。よくつるむ一人を除いてはどうでもいい。同窓会も、中学時代の立場を考えれば本来は僕が音頭を取るべきなのかもしれないが、むしろドタキャンとかしてるうちに呼ばれなくなった。今の自分は、良くも悪くも地元を離れた高校時代以降の経験によって構築されたと自分では思っていて、それより前のことにはあまり関心がない。その頃の家族写真とかだと懐かしくもあるのだが、例えばわざわざ同窓会に参加して彼らとの時間を懐かしがりたいとは、特に思わない。だって一通り思い出話をした後は10年以上分の他人同士でしかないわけで、その他人としての時間の中で全く違う価値観を育んできたのだ。価値観が異なれば相容れない、とは言わない。しかし共通の目的もない中で、わざわざ関係を再構築するには動機づけが弱いし、一時しのぎの関係を築くのも却って難しい。要するに、楽しめている自分をあまりイメージできないのだ。少なくとも、SNSの発達が知らせてくれる旧友の近況を見る限り、彼らが面白いと思っていることと僕のそれとは違う。

彼らは彼らでわりと仲良くやっているようだ。僕は中学まではわりと広く浅くの交友で、本当によく遊んだのはほんの数人だったということもあり、地元の同級生たちが未だにそれなりのネットワークを維持していることは不思議ではある。あるいは高校で地元を離れ、なおかつそこでの経験で多少暗くなってしまったのも一因かもしれない。で、大学は大学で多少頑張って友達を作ったら今度はそちらが面白く、それこそ地元なんてどうでもよくなった。しかし逆から見れば、締め出しを食ったというか、僕の知らないところで地元の交友が深まっていたことが気に入らないだけ、といった辺りが真相かな、という気もする。所詮は周縁、ということだ。